PM上級8期・後半

(↑ん?)
PM上級8期の二日目。
今回の参加者の印象をひと言で言えば、ペパーミント風味の純粋でまっすぐな人たち。
爽やかな感じがあって、講義をしているボクたちもとても気持ちがよかったです。
えっと、最近ちょっとブログがカンタンになってますが、諸々の原稿の締め切りがピークなので、もうちょっと勘弁してください(笑)

(↑ん?)
PM上級8期の二日目。
今回の参加者の印象をひと言で言えば、ペパーミント風味の純粋でまっすぐな人たち。
爽やかな感じがあって、講義をしているボクたちもとても気持ちがよかったです。
えっと、最近ちょっとブログがカンタンになってますが、諸々の原稿の締め切りがピークなので、もうちょっと勘弁してください(笑)

(↑熱弁をふるう森下さん。あれ? でも、なんかヘンな格好をしている参加者がいるなあ。気のせいかなぁ……)
PM新シーズンに入ってはじめての上級。
上級は2日間あるのだけれど、今日はその初日。
さすがに参加者のみなさんの意気込みも熱い!
明日は、きっともっとスゴイことに・・・

PM上級講座修了者向けに、月2回のペースで開催している東京RMC(リアルモチベーションカフェ)。
昨日は石井も顔を出しました。
PMとなったみなさんが交流し、腕を磨きあうという場。
毎回、50人定員のところキャンセル待ちが多数でるほどの大盛況です。
今回のマスターは、姫こと中山容子さん。
発想が刺激される面白い講義でした。PMセッションにも即、役に立ちそうです。

先日のPM講座に参加してくれた、沖縄のTMさんから、お手紙とハロウィーンのお菓子をいただきました。
講座についての感想や励ましのお言葉をいただきましたが、このタイミングがまた絶妙で、ここのところ感じていた迷いが、一気に氷解するような温かく嬉しい内容でした。
「果たしてボクの思いは誰かに通じているのだろうか? 振りしぼる言葉も、実は誰にも届いていなかったんじゃないか?」なんてちょっと気弱になっていたところが少なからずあったのだけれど、見てくれている人はちゃんと分かってくれているんだなぁ、と。
魂を込め、言葉を尽くしても伝わらない心もある。でも、何もいわなくてもすっと通じあえる心も、ちゃんとあるんだと。
そんなふうに思いました。
とっても、嬉しかったです。

(↑日曜日はPM初級講座の9期。石井がクライアント役になって参加者に悩みを相談する、ってワークの最中)
先日の日曜日は、パーソナルモチベーター新シーズンの第9期でした。
今期も、なかなかユニークなPMたちが揃いましたよ。
とくに懇親会が素晴らしくて、ボクもとっても感激しました。
今週末は新シーズンの上級がスタート。
上級は、初級からは想像もできないくらいトンデモないことに・・・(笑)

(↑懇親会もハンパじゃない盛り上がり)
今日(日付的には昨日)から、パーソナルモチベーター育成講座の新シーズンがスタート。
シーズン初日なので、ボクらPMXの側もやや緊張気味・・・だったのだけれど、そんな緊張を吹き飛ばすくらいに、参加者のノリはすごかった!
関西からの参加者が多かったせいもあるのか、今まででおそらく最高レベルの楽しくエネルギッシュな雰囲気でした。
講座を担当したPMXのみんなも、「こんなに気持ちよく講義ができたのは初めてかも!」と大感激。
古屋さんも講義の中で言っていたけど、確かに、「みんなが、ボクたちを作ってくれている」という感じだった。
今日は、石井的には大満足の一日。
いろんな意味で、「これぞ我がPM講座!」と胸を張れる内容でありました。
みんなはボクの誇りです! ホントにありがとう。
今日は風邪でダウン。熱出してダウン。
昨日までは充実していて倒れている暇はなかったし、明日からはパーソナルモチベーター講座の新シーズンがはじまるんでもう休めない。「それじゃあ、ダウンするなら今日しかないだろう」ってボクの潜在意識は分かってやってるんだろう。
頭痛いけど、ん〜、さすがオレの潜在意識。

(↑ムカつくことがあってどうにもイライラしたので(笑)、仕事を中断して八重洲の丸善へ気晴らしに。前から探していたノートが、ここに売っていると、アンアンのライターさんが教えてくれたから)
口でどんなに相手を尊重しているようなことを言っていても、心の中で実はその人を軽んじていると、それはやっぱり言動の微妙なところに現われてしまう。
どんなに無神経な言動をぶつけても、心の中で相手を重んじていれば、それが雰囲気の中に現われる。
そして人間は、意識でははっきりと捉えられないそういう微細なところを潜在意識レベルで感じあってコミュニケーションしている。
だから、言葉が下手でも構わない。
仕事ができなくても構わない。
まず、相手を心から重んじているかどうか。そこからスタートしなくてはならないし、それができないのであれば、相手にも何かを期待してはいけない。
要するに、本当に好きになれる人とだけ仕事しろってことだ。
カンタンなことではもちろんないけれど、長い目で見れば、それがベストな結果をもたらすはずだから。

(↑2年間続いた光文社「ゲイナー」の連載も12月号で最終回。最後のゲラチェック)
今、一生懸命やっていることが、正しいことなのか、間違っていることなのか、まだ分からない――そういう段階はどんな努力にもあると思う。
もちろん、正しいとか間違っているというのは価値観の問題なのだし、大切なのは、真剣であるかどうか、一生懸命であるかどうか、ということだけだってことは、もちろん分かっているのだけれど、後ですっかり後悔してしまうことをやっているのか、後からわりと自分を誇らしく思えることをやっているのか、正直、ボク自身にも皆目見当がつかない。
もっと言っちゃえば、ボクはけっこう天才なのかも知れないし(笑)、さもなければどうしようもないバカなのかも知れない。
分かんないけど、少なくとも、その中間であることだけは、どうやらなさそうなんだなぁ……(笑)

(↑ワークも当然盛り上がる)
今日(日付的には昨日ですが)は、東京国際フォーラムにて開催された、森下裕道さんのセミナーに参加させていただきました。
そう。このブログでも紹介した「たった5時間で接客の天才になるすっごいセミナー」です。それにしても、森下さん以外はつけないであろうタイトルです。
約100名の熱心な方々が参加され、トークありワークありケーキあり(?)の、あっという間の5時間でした。
森下さんのことですから、楽しくてためになるのは当然なのですが、怒涛のようになだれ込んだ最後のクライマックスの話では、不覚にも僕も泣いてしまいました。いや、マジでやばいくらい泣いてしまいました。
よく、「笑いあり涙ありのセミナー」なんて言いますが、ボクはそういう「泣かせんかな」のいい話というのが大嫌いで、「泣ける」というもので泣いたためしがないし、そういう「泣けるセミナー」を売りにしている講師をバカにしているようなところがあるのですが、森下さんの話はそういう安っぽい「泣ける話」とはまったく別ものです。
魂からしぼりだされるような……いや、みんなの幸せのために自らの身を切り刻むかのごとき、叫びに近いような鬼気迫るものでした。
森下さんの自らの人生に対する覚悟や、森下さんがよく言う「ハッピー」という言葉の本当の意味が、どてっ腹にずしんと来ました。
圧倒されました。
世の中には、逃していいチャンスと、逃してはならないチャンスがあると思います。率直に遠慮なく言わせてもらいますが、今回、参加できなかった方は、ほんとうにもったいないことをしました。これはセールストークではありません。本当に心からそう思います。
次回の森下さんのオープンセミナーの開催は未定のようですが、もしまた開催される機会がありましたら、必ず参加されることを心からおすすめします。

キミとホンネで語り合いたい――とボクは言う。
でも、「ホンネで話してくれ。心を開いてくれ」と求めるボクは間違っていたんだ。
だって、突然、誰かに家に訪ねてこられて「今すぐキミの部屋の一番みっともないところを見せてくれ」なんて言われても、ボクだってそんなの嫌だ。
問題は自分だ。
「キミがホンネを話せるようなボクなる」というところが問題であって、「ホンネを聞かせてくれ」とキミに迫るのは筋違いの甘ったれた姿勢だ。
そんなふうに考えられるようになると、不思議なもので、少し心を閉じているキミも、たぶんときに巧みな嘘をつくキミも、ストレートに気持ちを表現してくれる素直なキミと同じようにステキに思えてくる。
だって、ホンネを言わないキミも、やっぱりありのままのキミには違いないのだから。
いずれにしても、キミがもっといっぱい自分の悪いところを遠慮なく見せてくれるような、そんなボクになりたいもんだってわけさ。

(↑タイトル「いずみちゃんの不埒な犬と、それを違和感なく受け入れる姫」……意味不明)
群れて、すがって、ぶら下がって、「いえいえ、ボクなんて……」と謙遜して成立する人生だったら、どんなにラクだったろうと思うことがある。
「我、カリスマなり!」などと粋がって仕事をしていると、やっぱり、辛いこともいっぱいある。フェイクイットでツッパって自分の人生を切り拓いてきた分だけ、鼻っ柱をへし折られたときのこの敗北感の破壊力は、群れて生きているヤツらのちっぽけな挫折の比じゃあない。
誤解もあれば、あからさまな妬みもある。誹謗中傷も、理不尽な逆恨みもある。
そして、ときおり、そんな流れ弾が、ボクのこの華奢な脇腹あたりに当たってしまって、はいつくばってのたうちまわることもある。
ボクだって人間だ。そんなときは、悪いけど、遠慮なく苦しませてもらおう。
しかし、遅かれ早かれボクはこうやって強く笑って立ち上がる。
脇腹は確かに痛むけれど、でも、どんな流れ弾も、決してボクの心臓を貫くことだけはない。
なぜなら、ボクに惚れて応援してくれる愛すべき同志たちが、どんなときにも、ボクの心臓だけはがっちりと守ってくれているからだ。
同じ志を持つものたちは、潜在意識の世界でつながっている。
だからボクはひとりじゃない。
だからキミもひとりじゃない――怖れず、諦めず、何度でも立ち上がれ!
しばらくブログ休みましたが、お待たせ。復活しました。

(↑やはりバッシーも……来た。後ろのDJはもしやナンパ師こーちゃんでは?)
昨晩は石井道場生の何名かの人の誕生日パーティーで渋谷へ。
ボクは本来こういう集まりは苦手なタイプなのだけれども、石井道場のメンバーの居心地のよさは別格中の別格。言葉にできないほど素晴らしき仲間たちです。
というわけで、朝まで盛り上がって久々に始発で帰ってきました(笑)
待ちに待った給料日の前日に、予想外の臨時ボーナスが気前よく出た――そんなゴージャスな感じの日でした(意味不明)。

(↑お金について潜在意識の観点から語られるのをはじめて聞いた、アメリカの古〜いセミナーのテープ。今でもMP3にして繰り返し聞いてます)
ボクは、「お金」について偉そうに語るほどのお金持ちではありません。
そもそも、ボク自身は、昔から「お金」というテーマが一番ピンとこない分野だったんです。もちろん、理屈としては理解できます。でも、ちょうど、音痴の人が自分がどう音痴なのか理解できないのと同じような状態で、どうにもしっくり腑に落ちなかったのが「お金」の感覚でした。
よく、お金はエネルギーだとか、そんなふうに言われますが、そう言われても、結局はお金というものをエネルギーというものに置き換えて説明しているだけで、ピンとこない人にとっては、同じことなんですね。
どこにもボクを納得させてくれる答がなかったので、自分なりに、潜在意識の観点からいろいろと「お金」について考え研究してきました。その結果、あまり世間では言われていないいろいろなことが分かってきました。
そして、あるとき、あるひとつの決定的な潜在意識のルールに気づいてから、そんなボクにとっても、お金というものがより身近で意味のあるものになってきました。とてもシンプルな考え方ですが、ボクにとってはど真ん中だったんですね。
たったひとつの考え方に気づくだけで、オセロの駒をバンバンひっくり返すようにそれまでの人生が逆転することって、誰の人生にもあると思いますが、ちょうどそんな感じでした。
もちろん、その気づきに合わせて現実のお金も集まってきましたし、それまでぎこちなかったお金との付き合い方も、まるで心を許した親友同士のような近しく楽しいものになりました。
よりよい人生を生きようとするときに、どうしてもお金の問題は避けて通れません。しかし、以前のボクと同じように、「どうもピンとこない……」と思っている人も少なくないと思うんですね。
ですので、このテーマをまとめて、いつか何らかのカタチにしたいと思っていますが、ずいぶん先まで書籍やセミナーのプランが決まっているので、いつのことになるやら……です(笑)

(↑新刊のために描いてもらった木下綾乃さんのイラスト。その一歩が楽しくなければ、目標を実現しても嬉しくなんかなれない)
ボクはわりと並行処理が苦手で、ひとつのことを終わらせてからでないと次にいけないというところがある。
それは、融通がきかなくて非効率だという点では短所だし、ひとつひとつ足場を築いて積み上げていく着実さという意味では長所だと思う。
だから、何か大きなプロジェクトに入っているときに、横からちまちました仕事を投げつけられると、集中力を妨害されて、露骨に不機嫌で攻撃的になってしまう。この意味では、あきらかに短所の側面が出てしまう。
だが、どんな長所も短所に裏打ちされているものだからしかたがないと、開き直っているところもある。言い訳のようだが、どこかこういう「開き直り」がないと、自分のやりたいことを実現させることなどできないとボクは思う。
そういう性分だから、仕事としてセラピーをやっていたときも、たくさんのクライアントに取り組むよりも、ひとりのクライアントに深く長く接しているときのほうが、ボクの場合は圧倒的に発見とか気づきが多かった。
時計の針と、クライアントの顔を見比べてセラピーをするなんてできなかった。時間を忘れて熱中したかった。
当然ながら、そんなことではビジネス的に採算が合うはずがない。仕事としてセラピーをやるとなると、たくさんのクライアントを「こなす」システムが必要になる。
これが、どうしてもボクの性に合わなかった。
だから、効率的な勉強法とか、無駄のない仕事の仕方とか、そういう小賢しいノウハウの話を聞くだけで吐き気がするところがある。
ひとりの人に徹底的に向き合う。一冊の本を徹底的に読み込む。ひとつの小さな仕事を徹底的にマスターする。
無我夢中になる。我を忘れて、そのものと一体になる。
そういう人は、ぱっぱと切り替えのうまい人よりも、仕事や人生の悩みも多い。恋愛なんかすれば、そりゃあ人一倍苦しい思いをする。
でも、そういう、一見、効率の悪いやり方をしているまっすぐな人に、ボクは心から惹かれてしまうんです。
なんでこんなことを書いたかというと、本の宣伝(笑)……というのは冗談だけれども、『7日間でキラキラになる☆』の第5章の中でこの思いをぶつけています。10月25日には書店に並ぶはずなので、せめて第5章「愛する力を磨く〜継続は力なりなんてウソだ!」というところだけでも立ち読みをしてみてください。

(↑何年も読み込んだ大切な『サイレント・パワー』。他人に振り回されない生き方を教えてくれた)
ボクは「成功者」という言葉はあまり好きじゃないんだけれども、ハッピーな人生を生きている人とか、夢をもって活き活きとがんばっている人たちとか、目標を実現して自分の人生を創造していっている人たちを、それじゃあ何と呼ぼうか……う〜ん、「輝いている人」とでも呼びましょうか。
そういう「輝いている人」たちと話をしていていつも思うのは、それぞれ分野が違っても、そういう人たちの考え方にはやっぱりたくさんの共通点があるってこと。
そのひとつが「期待」というものの扱い方の違い。
輝いていない人は、必ず、他人の期待に合わせて生きている。
輝いている人は、自分自身が自分に期待するものに合わせて努力している。
輝いていない人は、たとえば、本当はものすごい実力があるのに、他人からあまり期待されていないからといってそのレベルのぬるま湯に甘んじていて、それ以上にストレッチしようとしない。
あるいは逆に、レベルが高すぎたり、見当違いな内容の期待を他人からされてしまって、そしてそれに応えることばかりに気持ちがいってしまう。高すぎる期待に応えられなくて不満ばかりなのは当然だし、もし期待に応えられたとしても、自分としては内的な満足感は決して得られるはずもない。
一方、輝いている人っていうのは、他人が自分に何を期待してくるかなんてゼ〜ンゼン関係なくて、「自分が自分に期待」する。
みんなから見下されていても、「いや、オレはさらに一歩上を狙えるに違いない」と諦めない。諦めないから努力も続く。
逆に、他人から大きすぎる期待をかけられても、そんなものに振り回されず、きちんと地に足をつけて、「自分の歩幅で」バランスを失わずに歩ける。
そういう違いがあると思うんです。
輝いていない人は、自分が自分にかける期待ということの意味が分からないから、うまくいかない人生を必ず他人のせいにする。
会社がどうだ、学校の先生がどうだ、友達がどうだ、親がどうだ、政府がどうだ……そんなことばかり。
ふざけんじゃないよ。結局、「自分が自分を信じてあげてない」ってことじゃねぇか。

(↑またしても森下さんに遭遇。トレーニング直後なのにこの元気。もっとキツくしてあげてくださ〜い)
みなさん、文庫本とかってカバーして読みますか?
書店でかけてもらうカバーのことじゃなくって、最初から本に巻いてあるジャケットのこと。
ボクは、大好きな本ほど、ジャケットを捨てちゃって、裸のまま読みます。
そうすると、何度も繰り返して読んでいるうちに、表紙の手触りがだんだんざらざらになってくるんです。その感じが好きなんです。その本の肌感というか、著者のぬくもりというか、そういうものが伝わってくるような気がするんです。より深く入り込めるというか。
昔、たしか、新潮文庫のテレビCMだったと記憶しているんですけれど、美しい女性が文庫本のカバーを外して読んでいるというシーンがあって、つまり、「素顔がステキな人だった…」的な趣旨の映像だったと思うのですが、その印象が潜在意識に残っているのかも知れません。
とくに、昔の岩波文庫は薄いパラフィンが巻いていあるものでしたよね。ずっと昔の日焼けした岩波文庫がまだボクの本棚に残ってますが、なんか、改めてみると、昔の文庫本って、古くなるほど味が出てきて、美しいです。最近のは、ただの古本って感じになっちゃうけど。
人間関係でも、裸とは言わないけれど、肌のぬくもりが伝わってくるような、飾らない、探らない、たくらまない、ありのままの話ができる人といっしょにいたいなあ、と思う今日この頃です。涼しくなってきたからですかね……。
そういう人と、あれこれ気をつかわずに、普通に話をすることが、ボクにとっては最上の幸せですね。

(↑白金のスタジオでananの取材。今回は見開きの記事で、けっこう読み応えがあると思います。10/24発売号に掲載予定)
仕事にいく途中、今日のブログには何を書こうかな……と考えていたら、ひとつのコンセプトが浮かんできた。
ところが、そのささやかなコンセプトは、またたく間にぐんぐん膨らんでいって、到底ブログに納まりきれないほど途方もなく大きなものになっていった。
それどころか、驚いたことにそれは、ボクがここのところずっと探し求めていたモチーフにまで昇華してしまった。
興奮した。「これだ!」と思った。
たたみかけるように、ひとつの「セリフ」が浮かんできた。そのセリフとともに、鋭い輪郭をもったヴィジョンとして、着地点がはっきりと見えた。
ここを目指して組み立てていけば……きっと……
今日は、わけの分からない話ですみません……
たしかに、ボクはひとりよがりに酔っているだけなのかも知れない。こんな思いつきなど、明日にはすっかり醒めてしまうかも知れない。
でも、このずっしりとした手ごたえがどうにも無視できなくて、書きなぐってしまいました。
明日は、ちゃんとしますから(笑)

(↑顔出しNG……でもないんだろうが、ヴィジュアル的に辛いので(笑)、Oさんの右腕のみ。否が応でも悪だくみ風)
今日は、『「心のDNA」の育て方』にも登場した例の作家Oさんと、講談社のAさん、そして初対面の編集のY子さんと、打ち合わせ。
Oさんとも久しぶりだが、Aさんとはもう7年ぶり。当時はフライデーの編集で尖がっていた。
実は、このOさんとAさんが、光文社カッパブックスのSさんとボクをつなげてくれて、それでボクの処女作であり今も売れ続けている『コミュニケーションのための催眠誘導』が生まれたのだった。
そういえば、あのときは、たしか池袋のタイ料理屋で三人で会ったんだった。
だから、今日、こうして顔を合わせていたら、なんだかぐる〜っと回って再びスタート地点に戻ってきた感じがした。
しかも、奇しくも「7年」を経て……。
何か深い導きを感じずにはいられない。
初心に帰れ、ということか。
自分を信じてまたゼロからチャレンジしろ、ということか。
いずれにしても確かなのは、今も昔も、ボクのそばには助けてくれる人たちが必ずいたということ。
きっとそのことを思い出させてくれたんだと思う。
どんな間違いをしてもいい。ただ、自分の力で何かをやってきたなどと思い上がることだけはないようにな、オレよ。